2011年 05月 04日
Slide ONE様のSG改モデル、当たり前ですがトップ材とバック材、うまく貼ることができました。 クランプで1日ストレスをかけたので、今日はストレスを抜くためにボディ材は休日となります。 宮崎のT様の加工をするつもりでいましたが、2枚に分けた材料が平になるのにあと少し。 せっかくなのでこのまま放置です。 凹んだ面を床に直置きして、上面は天井からのシーリングファンの風があたるようにしています。 こうしておくと自然に平に戻ります。 それで今日は欲しいジャンク品があるので、仕入れておいたジャンクCDプレーヤーの修理をしました。 つまりジャンクでジャンクを購入するわけですが、どこまでもジャンクが好きなのです。 もうほとんどジャンクな人生、薬物中毒ではないがジャンク中毒、まさしくジャンキーでしょうか? 2時間で2台直して、あとは工房の掃除と雑用をすませました。 KENWOOD DPF-5002 人気商品です。 後期モデルのDPF-7002を買ったので、手放すことにしました。 CDによっては5002のほうが良い場合もあります。 Victor XL-Z501 1987年製なので相当古い。 でもボリュームを上げても高域がうるさくないので、これで良いCDもありますが、そうなると歌手ごと、ギターごと等々でCDプレーヤーを変えなくてはならなくなるので、きりがないのでこれも放出します。 修理はどちらも、ピックアップレーザー光の出力アップでした。 今落札しようとしているのが、Mosrite アベンジャーのボディとネック。 40年ぐらい前のカタログです。 ブルーコメッツが使用していたリバプールモデルもあります。 それでアベンジャー。 もちろん国産の安物です。 でもモラレスよりはいいに違いない。 ラワン合板製。 高校3年の時に友人がシャープ5モデルを買ったので、お下がりになったモラレスでしたが、分解して何年になるやら。 ついでに当時のカタログです。 店名は「るんびにい」ですが、立派な名前をつけると. . . 人のことは言えません、私も完全に名前負け. . . 少しあとのカタログ。 エドワーズの面々、のちの大石吾郎氏が中央に。 まあ良くも真似したものですが、ヘッドに切れ込みがないので本家のように鋸で山形の切れ込みを入れたっけ。 ついでなので、古いカタログのほんの一部を。 映画Crosroadのような雰囲気のイラスト。 ロバート.ジョンソンのイメージか? スティーブ.ヴァイとのギターバトルがばかばかしくて面白かった。 ジョー山中氏とオレンジアンプ。 H.Sアンダーソン。 人気のヒューストン。 持っていましたが、子育てのため売り払ってしまいました。 親の心子知らず、そのまんま。 こんなのも作ってたんですね。 HS−3abc。 abcって? プリンスが収集しているというマッド.キャッツ。 バスクベース!!いいネーミングです。 それでMosriteですが、モラレスの現物があるからそれのコピーでも良さそうですが、どうも微妙に違うらしい。 特にネックは全く別もので、太くて厚い、一時期Mosriteを持っていた時もあるので、感覚的な違いは分かります。 これも手放してしまいましたが、国産のたぶん黒雲製作所製。 作りは良かったのですが、バスウッド材なので好きではありませんでした。 バスウッド材はアルダーのような音といわれますが、音が良くてもシナ材ではね、です。 今作りたいのはこんな感じ。 途中ですが、おめでとうございます!! 10時8分に落札なりました、アベンジャーのジャンクボディ3200円。 あとはネックを落札します、現在3500円、ロッド効かずなのに。 話を戻しますが、カーリーメープルトップ、マホガニーバックで作ろうと考えています。 まあこれもいつになるやらですが、計画している時が一番楽しいようです。 今ネックを落札、3500円でした。 実況中継のような. . . これでMosriteを作れます。 めでたしめでたし。 追記:ブログを見てくださっているかたが、ギター関係者だけではないことに気づき、モズライトの解説をWikipedia様にお願いしました。 「1950年代前半に元リッケンバッカーの社員であったセミー・モズレーによって創設され、幾度の倒産を経ながらも1990年代まで活動。 同社製のギター(モズライト・ギター)は特有のデザイン、音質から多くのアーティストに愛用され、ベンチャーズや加山雄三の影響で特に日本で人気を博しグループ・サウンズ期にも活躍した。1970年代の後半から、パンクバンド、ラモーンズのギタリスト、ジョニー・ラモーンが愛用していた事もあり、今も多くの若者に支持されている。後に1980年代末にノースキャロライナ州ジョナスリッジに(この工場は火災による被害を受けている)、そして晩年はアラバマ州ブーンヴィルに移転し、モズレーが設立したユニファイド社が生産を行っていたが、1992年にモズレーが死去すると妻のロレッタ・モズレーが経営を引き継いだものの、1994年に倒産した。ちなみに、元ユニファイド社のスタッフやフィルモア側の証言によると、ロレッタ夫人は倒産後の債務処理等の一切合財を放棄して、ブーンヴィルの工場を勝手に引き払ってネバダ州に転居してしまったという。 1960年代からモズライト代理店として営業して来た日本のフィルモア楽器がモズレーの死後、浮いた商標を再取得し、東海楽器製造及びアメリカ国内のギターメーカーに製造を委託してモズライトとして販売している。現在はセミー・モズレーから直接ギター製作の手ほどきを受けた愛娘のディナ・モズレー(セミーの二人目の妻との間の子供)をアドバイザーに迎えている。 ベンチャーズ全盛期にはセミー・モズレーとも親交のあった日本のファーストマン社が、モズライトの許可を得て、日本製モズライトギターを生産していたが、1969年に米モズライト社の倒産の煽りを受けて倒産。その際、ファーストマン社の下請け会社であった黒雲製作所がモズライトの商標を所持していた事から、商標使用の権利を巡ってフィルモア楽器が訴訟を起こしたが、東京地方裁判所(平成19(ワ)5022)において双方共に正式な商標権を持たないことが確認された。 その後もロレッタ未亡人がモズライトの主権を主張し、突然京都府に工房を設け、かつてモズライトの工場に勤務しているクラフツマンを迎えてモズライトギターの受注生産を開始した。これにより現状ではフィルモア製モズライトと黒雲製作所製、そしてロレッタが設けた工房製の三種類があることになり、さらに2009年6月15日、ロレッタ・モズレー側が(株)フィルモア及びアメリカでのモズライトのディストリビューターである"Ed Roman Guitars"社を相手取り、「モズライト」の所有権を改めて明確にする事を求め、アメリカ合衆国連邦裁判所に対し提訴、受理されている。未亡人であるロレッタと対立しているフィルモア側にセミー・モズレーの娘であるディナ・モズレーが参加している」 まだ解決してなかったんだ?! たいへんですね。 先日の朝日新聞のコンサート情報で、Char氏が黒いMosriteを抱えた写真が使われていたし、昨秋でしたかやはり新聞紙上で、長渕剛氏がサンバーストのMosriteを持った画像を見ました。 意外な方が所有しているんだなあ、と関心します。 最後に画像を。
by ditzyzesty
| 2011-05-04 22:26
| ギター
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